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「ルンピニ公園物語」タイ初の公共公園は「王の思いやりが形となり100年ののち国民の宝」へ。
- 2025/5/4
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今や、オオトカゲの出現ポイントとして有名な「ルンピニ公園」ですが、ここは記念すべきタイで初めて設立された公共公園でもありました。
1925年、ラーマ6世(ワチラウット王)は、王室所有地だったサラデーンの一部を寄贈し、タイ初の公共公園を設立しました。
この土地はもともと、農業・商業・工業におけるサヤーム(シャム)の進歩を祝う国家博覧会の会場となる予定でしたが、その博覧会が中止になったため、王はその空間を公共の利益のために再構想しました。
ラーマ6世は、西洋の都市理念や高まるタイ民族意識の影響を受け、市民のための「学び・レクリエーション・共通のアイデンティティ」を育む空間を構想しました。
それは、近代化を目指すサヤームの象徴であり、民衆への贈り物でした。
彼はその地を「ルンピニ」と名付けました。ブッダの生誕地(ネパールのルンビニ)にちなんだものです。
現在、公園の西門にはラーマ6世の銅像が建ち、彼のビジョンの遺産を静かに物語っています。
初期のルンピニ公園には、植物園や図書館、文化活動のための開放空間がありました。
しかし、その静けさは長くは続きませんでした。
第二次世界大戦中、公園は日本軍に占領され、一部は軍事施設に転用されました。
食料不足に対応するため、作物も栽培されました。それでも公園は存在し続けたのです。
バンコクの中心にあるオアシス:ルンピニ公園
戦後の数十年間で、ルンピニ公園は徐々に姿を変えていきました。
池には足漕ぎボートが現れ、屋外ステージ、フィットネスエリア、遊具も整備されました。
それでも公園の本質である「開かれた、民主的で、誰でもアクセスできる空間」は失われることはありませんでした。
ルンピニ公園は、ただの癒しの場ではありません。長きにわたり政治集会や祭り、チャリティイベントなど、公共の表現の舞台でもあったのです。
バンコクの高層ビル群と共に成長しながら、木陰と空間を提供し続けてきました。
現在、公園の広さは約360ライ(約57ヘクタール)となっています。
バンコクに残された数少ない大規模な緑地の一つです。
公園は空気を冷やし、汚染を浄化し、都市生活の中で貴重なひとときをもたらしています。
約100年を経てなお、ルンピニ公園は「王の思いやりが形となり、永続的な公共財となった」希有な存在なのです。
死してなお名を残すラーマ6世に、敬意を表したいと思います。