タイの橋の名称を勝手に改名。政治的思想によるものの犯行か?!

バンコクのドゥシット区役所は、国会議事堂近くのキアクカイ交差点にある「ピブーンソンクラーム橋」の看板を「タラブ橋」に意図的に変更した人物を探しています。

容疑者は、アクリル板を用いた「タラブ橋」という看板を、「ピブンソンクラーム橋」にかぶせるように勝手に設置していました。

1971年に建設された「ピブーンソンクラーム橋」は、1932年の革命の末期の指導者であるプレーク・ピブーンソンクラーム元帥を記念して建てられました。
ドゥシット区役所が、「橋の名前が変更されている」という通報を受け、7月2日午後12時54分ごろ、問題の橋に駆けつけました。

橋の状況を見て、彼は公共事業局の職員にアクリル板を取り除くように命じました。

また当局は、犯人につながる可能性のある手がかりがないか、その地域とその周辺の監視カメラをチェックするよう当局に指示しています。

橋の名前は、1932年6月24日に人民党(カーナラサドン)のピブーン・ソンクラームが立憲革命を起こしました。
それは、絶対君主制に終止符を打ち、タイ民主主義の幕開けとなりました。

一方タラーブは、タラブはプラヤー・シ・シッティソンクラームの性で、別称で「ディンタラブ」と言われています。
シャム革命でカーナ・ラサドンに加わっていなかった王党派の軍人で、革命の1年後の1933年、4月と6月の2回に渡り、ボーウォーラデート王子が率いるクーデター軍の指揮官として参加していました。
クーデターは失敗し、1933年にサラブリーで射殺されています。

2017年、ロイヤルプラザに埋め込まれた1932年の革命を祝うために、カーナラサドンの記念の盾がありましたが、不思議なことに行方不明になり、新しいものに交換されたという経緯もありました。

※タイの歴史は諸説あります。
文中の所定の箇所は、タイの地元メディア複数の記事を参考に作成しています。

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