タイ・チナワット一族の誤算。タイ=カンボジア国境紛争と揺らぐ政権基盤。

タイの禍は、ある一部の人間により17年間逃亡生活をしていた男を受け入れたところから始まっていたのかもしれません。

7月29日、プムタム暫定首相とカンボジアのフン・マネット首相との協議によって停戦合意が成立したあと、タイ=カンボジア国境紛争の緊張は幾分緩和されたようにみえました。
しかし、状況は依然として「解決」という言葉にはほど遠い状態です。

今後注目すべきは、カンボジア上院議長であり事実上カンボジアの実権を握るフン・センの対応にあるといます。
彼が計画した戦略は、国境の要所を失うことで、うまくいかなかったように見えます。

かつてカンボジア軍が占拠または侵入していた主要な国境地点は、今回の紛争でタイ軍の抵抗により撤退を余儀なくされました。

とりわけ「プーマークア地域」では、以前カンボジア軍が軍事拠点や輸送用ケーブルシステムを設置することに成功していましたが、これらの行動は2000年の覚書(MOU)に明らかに違反するものでした。
タイ側は、これを長年黙認していたが、現在ではこれを押し戻しています。

そういった軍事的観点から見れば、タイ軍は不利とは言えない。
しかし政治的には、ペトンタン・チナワット首相率いるタイ貢献党政府は、世論にも国外からも劣勢にあるようだとタイメディアも語っています。

2024年後半に緊張が高まって以来、タイ貢献党政権は戦略的先見性をほとんど見せていません。

これとは対照的に、フン・センは象徴的な挑発行為を駆使し、戦術的な巧妙さを見せています。
たとえば、タームアントム寺院でのカンボジア国歌の斉唱、「サラ・トリムック」施設の焼却、防御壕の掘削、さらにはペートンタン本人との電話会談リークなどがあり、これらが衝突の急激な激化を招きました。

30年以上にわたるチナワット家とフン家との蜜月関係

ペトンタンとその父タクシン・チナワットは、フン・センへの信頼が過度だったため、大きな誤算を犯しました。

30年以上にわたり、チナワット家とフン家は親密な関係を築いてきました。
これまでタクシンは、海外逃亡中や国内圧力が高まった際、フン・センからの支援を受けてきました。
さらに、タクシンの妹ヤオワパー・ウォンサワットの娘は、フン・センに近いカンボジアの有力政治家セアン・ナムの息子と結婚しており、血縁的な結びつきも両家の間で長年築かれてきました。

しかしこうした親族・経済的な関係が、フン・センの野心に対してチナワット側の警戒心を鈍らせました。
保守派や軍部を警戒するあまり、タクシンは「味方」のフン・センからの脅威を見誤ったのです。

結果として、国際政治の駆け引きにおいて、タクシンとペトンタンはフン・センに完敗した格好となりました。

国内では、タイ貢献党が深刻な信用危機に直面

かつてタイ東北地方で圧倒的な支持を誇った(というか東北地方のみで)「チナワット・ブランド」は、急速に失墜しています。
タクシンのフン・センとの親密さに批判が集まり、ペトンタンの指導力と統制力も疑問視されています。
彼女の存在感の薄さが、国民の信頼を大きく損ねていると言えます。

歴史的に、タイ貢献党は卓越した広報戦略によって国民の感情を煽り、チナワット首相のイメージを巧みに構築してきました。
だが今回は、その広報能力(金もですが)も機能しないところまで来ています。

タイ=カンボジア紛争において、政府の対応は国民に安心感を与えるどころか、むしろ反応的で後手に回っている印象が強く、カンボジア側の明確かつ攻撃的な行動と比べて見劣りしているとタイメディアも評しています。

このような情報発信の失敗は、連立政権の中核政党として致命的となっています。
これまでの支持基盤である東北部でも、支持は急激に失われつつあります。

次期総選挙が迫る中、政局を掌握し続けることは、これまで以上に困難だろうと言われています。

よーく考えよう、選挙は大事だよ~、って以前言いましたよね?

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